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『紅の豚』ポルコは人間に戻ったのか?ラストに込められた意味を考察

『紅の豚』ポルコは人間に戻ったのか?ラストに込められた意味を考察 ジブリ

1992年に公開されたスタジオジブリの名作『紅の豚』。

金曜ロードショーなどで放送されるたびに、「ポルコは最後に人間に戻ったのか?」と疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。

この記事では、映画本編や宮崎駿監督のコメントなどをもとに「ポルコ・ロッソは人間に戻ったのか?」という疑問を考察していきます。

映画ラスト、ポルコは人間に戻ったのか?

物語の終盤、ポルコがカーチスと決闘をした後、フィオに別れのキスをされるシーンがあります。
そして、フィオがポルコにキスをした直後、カーチスがポルコの顔が変わっていることに驚いています。

しかし、このとき画面にはポルコの顔が映されていないため、視聴者には「本当に人間に戻ったのか」は分かりません。
これは、あえて「ポルコが人間に戻ったかどうか」をぼかすことで、余韻を残しているのだと思います。

このシーンについて、宮崎駿監督は「人間になってもまた豚に戻った」と語っています。

つまり、

完全に人間の姿に戻ったわけではなく、ポルコの内面の変化が一時的に外見にも影響を与えた可能性がある

と考えられます。

そもそもポルコが「豚」になった理由

そもそも、ポルコはなぜ豚の姿になったのでしょうか?

公開当時のパンフレットには、

迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます

と書かれています。

つまり、他の人からの呪いや罰ではなく、

ポルコ自身の意思によって豚の姿になった

ことが分かります。

ポルコは、かつては第一次世界大戦の英雄パイロットでした。しかし、戦争や国家への幻滅から距離を置くため、人間をやめて“”になるという道を選んだのです。

この「豚の姿」は、戦争や国家に対する反抗心、そして自由に生きるための象徴とも言えます。

ポルコが人間に戻る「瞬間」はあった?

ポルコの姿が変わった可能性のあるシーンは、映画の中で少なくとも2回あります。

  • フィオが寝ているそばで銃の手入れをしている時
  • カーチスとの決闘後、フィオに別れのキスをされた後

どちらの場面も、フィオという存在によってポルコの心が少しずつ変わっていく様子が描かれています。

ポルコは「人間も捨てたもんじゃない」とつぶやき、他者との関わりを受け入れ始めたことで、一時的に魔法が解けたとも考えられます。

ジーナとポルコのその後は?

ラストでジーナのホテル・アドリアーノにポルコの赤い飛行艇が停泊している描写があります。

ジーナは「私がこの庭にいるとき、その人が訪ねてきたら今度こそ愛そうって賭けしてるの」と言っていましたが、フィオのナレーションでは

ジーナさんの賭けがどうなったかは、私たちだけの秘密

と語られています。

これもはっきりとは描かれず、観る人の想像にゆだねられています。

赤い飛行艇の存在が「ジーナの賭けが実は叶ったのでは?」という希望を持たせています。

監督の意図と「紅の豚」最大の魅力

宮崎駿監督は、「ポルコは豚のまま最後まで生きていくほうが本当にこの男らしいと思う」と語っています。

人間に戻ることが必ずしもハッピーエンドではなく、ポルコが自由に生きる象徴として「豚の姿」が描かれているのです。

結局、『紅の豚』のラストは「観る人それぞれの想像に委ねられている」ことが最大の魅力。ポルコが人間に戻ったかどうか、明確な答えはありません。

しかし、彼の心の変化や周囲との関係性の変化こそが、物語の本質だと考えられます。

まとめ

  • ポルコは自らの意思で豚の姿になった
  • 映画ラストで一時的に人間に戻った可能性が示唆されているが、完全に戻ったわけではない
  • 宮崎駿監督は「どちらとも取れる結末」にこだわった
  • ポルコが人間に戻ったかどうかは、観る人の想像次第

『紅の豚』は何度観ても新たな発見がある、まさに大人のためのファンタジーです。
この映画のラストは見る人によって解釈が変わります。だからこそ、『紅の豚』は何度観ても心に残るのかもしれません。 

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